秋元城跡ひとり旅



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鹿野山九十九谷&白鳥神社ひとり旅

の続き。

これは2023年12月27日の旅です

駐車場


御由緒


秋元の語源

君津市清和市場にある諏訪神社の御由緒によると、清和天皇の貞観元年(859)の秋に御即位の大嘗祭を行うため同社の周辺に神田を作らせ、朝廷が勅使を下し稲穂を選んで天皇に差し上げたところ、実に見事な稲穂であると喜び…

これこそ秋の元なり!

と宣ったことから秋元庄の地名が起き、同神社を秋元惣社と呼ぶようになったと伝えられています。

秋元氏始祖


日本三大歌壇の一つ、宇都宮歌壇創始者宇都宮頼綱の庶子泰業(やすなり)が1225年頃、上総国周准(すえ)郡秋元荘鎌滝村(千葉県君津市鎌滝)に居を構えます。

次男の頼業(よりなり)は横田郷千余町(宇都宮市南部)に移住し横田氏を名乗ります。

その頼業の子供の子供の子供の子供の養子である泰朝の弟であり養子の師朝(もろとも)が秋元氏を名乗ります。

秋元城築城

小屋場にあった古城を里見義豊の命で属将の秋元義正が永正五年(1508)に上総国周東郡(すとうぐん)秋元庄(清和市場)に移転・築城したと言われています。

宇都宮泰業が秋元庄に入ってから283年後のことですが、秋元氏はその間…恐らく15世紀中頃、里見氏の支配下に入ったということですね。

また、師朝から義正に繋がる家系図は確認できませんでした。

国府台合戦

1538年、現在の千葉県市川市一帯で北条氏 vs 里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた国府台合戦(こうのだいかっせん)が勃発。

合戦後も北条軍の勢いは止まらず、下総全域(千葉県北部)は北条の手に落ちた。

さて、次は下総国の南隣である上総国である。

第二次国府台合戦

永禄七年(1564)、第二次国府台合戦が起こる訳ですが、ここでも里見軍は大敗し、更に南である安房国に敗走。イケイケの北条氏はこれを追い掛けます。待て~!!

その過程でまずは怨念で有名な池和田城(市原市鶴舞付近、城主多賀蔵人)を同年5月に陥落。

そこから更に椎津(しいず)城(市原市)、榎本城(長生郡長柄町(ちょうせいぐんながらまち))、利根里城(長生郡長南町(ちょうなんまち))、和田城(我孫子市・布佐城)、小糸城(君津市)と、拠点城郭を次々に攻略。

この小糸城が今回ひとり旅をしている秋元城で、陥落したのは同年6月のこと。

秋元城主の秋元義久(小次郎)は里見義次を大戸城(君津市)に逃がした後、北条氏康の命を受けてやってきた千葉胤富(たねとみ)らと戦います。

義久は負傷し城下で自刃したと言われていますが、落城時期には元亀二年(1571)など諸説あります。

その後も里見義弘の佐貫城(富津市)、10月には里見義堯(よしたか)の久留里城(木更津市)が落とされます。

ゲットバッカーズ

北条氏は斎藤正房(なおふさ?まさふさ?)を秋元城の城代とします。

その後、安房に落ち延びた里見氏が佐貫城や秋元城を再奪還。北条氏が北関東に目を向けた隙を狙っていたんですね。それにしても奪ったり奪われたり…もう何度目か分かりません。

そんなこんなで北条氏に奪われた上総を少しずつ取り戻していた里見氏ですが、天正十八年(1590)小田原の役(豊臣秀吉が小田原城に籠城する北条氏を征伐)で関東惣無事令(そうぶじれい:豊臣秀吉が大名間の私闘を禁じた法令)違反を咎められ上総を豊臣秀吉に没収されてしまいます。

その際、秋元城も浅野長政が接収し廃城となります。その時の城主は大戸城に逃がしていた里見義次(弾正少弼:だんじょうしょうひつ)でした。

里見氏のお家騒動

稲村の変/天文の内訌(ないこう)は戦国時代の天文2年(1533)から1534年に掛け、安房里見氏で発生した内紛。

稲村の変という名称は稲村城で発生した里見実堯殺害が発端だったことに由来。

近年の研究では、この騒動・伝承は実堯系が家督継承を正当性するため後世に創作した話であると考えられています。

散策再開

平成15年(2003)に行われた発掘調査の結果は国立国会図書館で閲覧可能です。

千畳への案内板。除草されていて歩きやすい。


二十一世紀への継承遺産


天守はおろか石垣とかも見当たりません。

上空から。森の中に広場があり、そのすぐ右側が崖になってます。


太陽光が霧に反射して神秘的





秋元庄の北側
画面中央付近に諏訪神社があります。清和天皇御即位の大嘗祭が行われたと伝えられています。


低い位置からボカして撮るとジオラマっぽくなります。


見えないかも知れませんがホコリに光が当たってダイヤモンドダストみたいになってます。


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