鹿野山琳聖院神野寺ひとり旅



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三舟山ひとり旅

の続き。

これは2023年7月31日の旅です

推古天皇の御代(598年)、聖徳太子の開山により始まります。山号は太子が寺を建立する際、野生の鹿が沢山集まった事から初転法輪(しょてんぽうりん:お釈迦様が初めて仏教の教義を人に説いた出来事)の地である鹿野苑にちなんで付けられたもので、関東三大修験道『鹿野山、筑波山)、榛名山』の一山でもあります。


857年に慈覚大師が再興。

1504年には高野山から弘範(ひろのり?)上人が来山し、真言密教の法灯を立てました。

天文年間(1532~1555)には里見義尭(さとみよしたか)が神野寺を帰依(きえ:仏にすべてを捧げること)し再興を計っています。

1590年、徳川家康が関東を領有すると、同年7月に神野寺に朱印の禁制(特に合戦中など民衆を安心させるための制度)を与えました。

1591年、家康は寺領並びに格式十万石の大名格を寄進しています。また、この年家康は家臣である佐貫城主内藤家長(ないとういえなが)に伽藍や僧坊を造営させました。

1621年12月、坊中(ぼうちゅう:寺の中)から出火して堂宇を焼失。その後、第7世源瑜(げんゆ?)が中興し新義真言宗の法灯を伝えました。また、第14世利珊(りさん?)も堂宇や僧坊の復興を計画し、1708年に再建成功。この時、松平勝隆(まつだいらかつたか)は用材を寄進して利珊に協力しました。現在の本堂はこの時建設されたもの。

1917(ロシア革命)9月30日の台風により、樹齢数百年を数える杉の巨木数十株が倒れたほか、仁王門・表門・その他の建造物が倒壊。その後、数年にわたって境内の杉などの樹木が次々に伐採され神野寺の杉林は見る影を失ってしまいました。

その後、第30世楠純隆(くすのきすみたか?)が再建や修繕に力を尽くし、神野寺の景観を取り戻しました。

正式名称である鹿野山琳聖院神野寺の琳聖について調べたら琳聖太子(りんしょうたいし、生没年不詳)が出てきました。他には出てこなかったので、この人物と関係があるのかな?

琳聖太子は大内氏の祖とされる人物。百済の王族で第26代聖王(聖明王)の第3王子で武寧王の孫とされる。名は義照。威徳王の孫で餘璋の子とするものもある。百済王齋明の第三子とも…どれやねん(・_・;)

15世紀後半に書かれた『大内多々良氏譜牒』に依ると琳聖太子は大内氏の祖とされ、推古天皇19年(611年)に百済から周防国(すおうのくに)多々良浜(山口県防府(ほうふ)市)に上陸し、聖徳太子から多々良姓とともに領地として大内県(おおうちあがた)を賜ったという。

ほぅほぅ。聖徳太子が鹿野山を開山したのが598年なので、その13年後、山口県に上陸したと。

しかし、現在の研究では大内氏は周防国の在庁官人が豪族化して勢力を拡大したという結論に至っており、琳聖太子という人物名は当時の日本や百済の文献に見ることはできない。

…ぉぃ

大内氏の百済との繋がりを名乗り始めた大内氏当主が、朝鮮半島との貿易を重視した大内義弘(おおうちよしひろ:1356-1400)であるとみられる。

その中でより高麗(こうらい)との関係を重視するため、琳聖太子なる人物を捏造してその子孫を称したとみられる…とまぁこの件に関する論文が多数あるのですが、神野寺から話が逸れ過ぎてしまったのでこの辺にしておきます。

ってことで、琳聖院の由来は分からずじまい。お寺に直接行って聞くしかないかな。

7:02am
車はお寺の南東側にある細長い駐車場に。




上から見るとこんな感じ。


日東バスが待機している細長いスペースが駐車場。


東京湾と富津岬


千葉県は北海道に続き全国で2番目にゴルフ場が多い。




右端にわくわくランド(マザー牧場)の観覧車が写ってました。




境内


お手水


どこからともなく朝勤行(あさごんぎょう:朝のお経)が聞こえてきます。






本堂を撮影していたら朝勤行を終えた住職がこちらへ来て丁寧な挨拶をしてくれました。
気分がいいのでおみくじを引いてみたいと思います。


やはり大吉!そんな気がしたんですよ~!良い風が吹いてます。




本堂を時計回りに進みます。



裏庭に出ました。






「當山開基聖徳太子」當は当の旧字体。


「聖徳太子が十六才の御像です」

「宝物館内にて寺宝左甚五郎作白蛇が拝観できます」

左甚五郎!雷電神社について調べたとき↓出てきた初代名人彫刻師ですね!


あれが奥之院か。




台風被害でこれ以上近づけません。ザイム真理教のみなさん。サクッと国債発行し、文化遺産を修繕してください。


公共事業が減って土木建築だけでなく宮大工や職人の伝統技術も失われつつあります。国際社会への貢献も結構ですが、国益にも少し分けてください。


本堂を裏から撮影


鉄下駄


ノリウツギの園芸種で別名ピラミッドアジサイと呼ばれているミナヅキ。


信楽焼?


小川


弁財天






軍荼利(ぐんだり)講社 講元松本弘道翁之像


ここ神野寺のご本尊は薬師如来と軍荼利明王の二尊ございます。


軍荼利明王は密教の明王のひとつであり様々な障害を取り除くとされています。


松本弘道さんはその軍荼利明王を参拝する、とある集団(講)の代表だったんですね。

講の原義は「講義」「講読」の「講」であり、寺院内で仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。やがてそれが仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すように。

更にそれが転じ、民俗宗教に於ける宗教行事を行なう集団、又はその行事・会合を指すように。
創講五十周年記念 東京軍荼利講(左側)

講をずっと続けていると、このような石碑を置かせて貰えるんですね。



本堂






表門から先は有料。朝早過ぎて開いてません。またの機会に。


六角堂
南無観世音菩薩


正面は十一面観音、右の大きなのは撫観音。


本当だ!ちょっと分かりづらいけど頭の上に顔が載ってる!


いい天気です


鐘楼


橦木が固定され撞けないようになってます。








総受付所


猫と犬の絵馬


昔は十二支に対応した動物がここに居たんですよね。もちろん龍など架空の動物は居ませんが。


その中のベンガルトラ3頭が逃げ出す、いわゆるトラ騒動があって、その後もしばらく猛獣以外は居たんですがついにその動物達も居なくなってしまいました。


恋愛成就祈願


悪いんだけど、恋愛成就の為にひとりで神社仏閣へお参りしてる人がいたらちょっと引くかも(・_・;)


愛染明王…そんなのがいるのか。


正面が不動明王で…右側の…


これか。顔、怖くね?


当山㐧十四世利珊上人像
300年以上前に復興を計画した人ですね。


宝物殿は表門側にあるので、これはお神輿か山車を格納するところかな?






仁王門


仁王門の毘沙門天




広目天




巨人用草鞋


仁王様




鹿野山の九頭龍伝承

九頭龍大権現堂…の鳥居。令和元年の台風15号でお堂が全倒壊した為、たいこ橋を渡った経堂に仮安置されていると書かれています。

鹿野山麓の鬼泪山(きなだやま)に九頭龍(九の頭を持つ大蛇)が棲みつき、村人を襲い喰らった伝承がある。村長が都に使いをたて退治を願い出たところ、日本武尊が遣わされた。

村人がその恐ろしさを伝えると、日本武尊は「この草薙剣で退治してみせる!」と誓い、村人の案内で鬼泪山に分け入った。

日本武尊は九頭龍を探すが一向に見付からない。疲れ果て、いつの間にか日本武尊は眠ってしまった。するとそこに九頭龍が現れ日本武尊を一飲みにしてしまった!!

三日ほど経ったある日。村娘が小川で洗濯していると川の水が赤く染まっていった。娘は驚き村人を呼んだ。

「日本武尊様が大蛇を退治してくださったからに違いない!」「いやもしかしたら日本武尊様の身に何か・・・」

などと話し合っていると、日本武尊が現れ…

「いや~居眠りしてたら大蛇に呑まれちった(てへぺろ)。でも運良く生き伸びたのでこの剣で奴の腹の中を滅多斬りにして外へ出た。そして九の頭を全部切り落としてやったぞ。」

と語った。

退治された九頭龍の霊魂は長年を通じて供養され「九頭竜権現」として祀られるに至り、今でも神野寺仁王門に鎮座されている。

この伝承で龍とされているのは実は悪政を敷いていた地方豪族阿久留王(六手王)だったという説もある。

東征で房総半島に渡った日本武尊が阿久留王と戦い勝利したので、自己正当化の為倒した相手、つまり阿久留王を悪者として歴史に残したのではないかと個人的には疑っています。

何故なら千葉県君津市六手に残る伝承に阿久留王は住民を思いやる文武両道の豪族だったと残されているから。

もちろんこれが正しいかどうかを確認する術は無いが、いずれにせよ君津・富津の住民からすれば日本武尊は侵略者以外の何者でもない。

しかしそれだと日本武尊を派遣した中央政権にとって都合が悪いので、勝者の特権として飽く迄も日本武尊は村人に頼まれて悪者を退治した英雄と流布(プロパガンダ)したと思われます。

天満宮




参道


バス停にひまわり畑があります。








ばいば~い


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