2024年10月のお知らせ
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札森さくら街道と新田野八幡神社ひとり旅
の続き。
これは2024年4月2日の旅です
6:21am駐車場
創建は古墳時代まで遡るとされる神社。千葉県中央部が上総国となるまでこの地域はいくつもの小国に分かれており、長生(ちょうせい)・夷隅地域を伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)が治めていました。
その伊甚国造が内膳卿膳臣大麻呂(うちのかしわでのつかさのきみかしわでのおみおおまろ)に珠(真珠)を求められたが期日に間に合わず、怒った麻呂に捕らえられ、尋問され、怖くなったので春日皇后の寝室へ逃げ込みます。キャー!!
当然のことながら重罪になり、伊甚国造らは贖罪を請い、お詫びとして春日皇后に伊甚屯倉(みやけ:皇室の所有地)を献上することになります。
第27代安閑(あんかん)天皇の御代(531年3月10日~536年1月25日)のことです。
伊甚国造は約束通り春日皇后に屯倉を献上するため、いすみ市苅谷に勅使を迎える為の仮屋を用意します。要は朝廷から使いの者が来るから契約を交わすためプレハブ事務所のような場所を用意したと。
で、その手続きが終わった後、それを取り壊すのも勿体ないから神様を祀ることにした…それが國吉神社の始まりです。
「ここは朝廷と契約を交わした由緒ある場所だぞ!」と、転んでもただでは起きない伊甚国造。
最初にお祀りしたのは伊甚国造の祖である『天穂日命(あめのほひのみこと)と建比良鳥命(たけひらとりのみこと)』が仕えた大国主命の御子神(みこがみ)である健御名方命(たけみなかたのみこと)だそうです。
なぜ自分の祖ではなく、また祖が仕えた者でもなくその子供を祀ったのかは分かりません。当時、人気があったのでしょうか?
ちなみに天穂日命は出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖でもあります。
健御名方命をお祀りしたことからもお分かりのように、当初は諏訪神社と称していましたが明治時代、周辺の神社が合祀され、当時の町名から國吉神社となりました。
また、幕末には國吉神社の北西近くにある作田村(さくだむら:いすみ市作田)に斧嶽(ふがく)と呼ばれる力自慢がおり、出雲大社の相撲大会で活躍することになります。
その際、出雲大社の宮司に見込まれ、神璽(みしるし)を授けられたことが國吉神社境内に出雲大社を建立する始まりになったとされています。
出雲大社の主祭神は國吉神社の御祭神である健御名方命のお父さん(大国主命)ですから、ここには親子の神様が祀られていることになります。
左が國吉神社の台輪鳥居。右が出雲大社の神明鳥居。
國吉神社鳥居
出雲大社鳥居
出雲大社からお参りしようかな。左の小さな社殿は金毘羅社。
拝殿
出雲日御碕(ひのみさき)神社
出雲大社をここに勧請した後、夢の中で「日御碕神社を共に祀れ」とのお告げがあったそうです。御祭神は天照大御神と須佐之男命。
出雲大社の裏側。拝殿本殿一体型ですね。
左は出雲日御碕神社。新しいですね。
金毘羅社。こちらもまぁまぁ新しい。朝ですが中のぼんぼりが点灯しています。
惟神碑(かんながらのひ)
諏訪神社…斧岳…などの文字が読み取れます。御由緒が書かれているのでしょうか。
境内は大量の玉砂利で敷き詰められています。歩く度にいい音がします。
さて、次は國吉神社へお参りします。
社務所
こちらは明神鳥居ですね。右にある小さな祠は天王社。
御由緒
先程の説明と同じはずです。
お手水
拝殿
立派な神額
おみくじやら色々売ってます。日本だから無人販売が成立するのですが、これからインバウンドが増えれば消えていくでしょう。
七分咲きってところかな。
左から本殿、幣殿、拝殿。カラーは使われていませんね。
御神木で天然記念物の大銀杏
先程の桜を上空から見てみましょう。
國吉神社の屋根
境内と駐車場
夷隅川
この場所いいな~。誰にも邪魔されずピクニックが出来る私有地。魚も釣れそうだし。
幸野橋(さいのはし)
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