水沢うどん食べながら五徳山水澤観世音ひとり旅~伊香保姫の伝説



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日本一まずい水!伊香保露天風呂ひとり旅

の続き。

これは2023年7月7日の旅です

真夏の温泉で汗だくになったので水分補給したいと思います。

10:23am
大澤屋第二店舗
水沢うどんってやつです。


営業開始が早いので、私のように変則的な旅人にとってはありがたいっす。


コシがあってウマい!






腹ごしらえした後は、近くにある観世音を散策。

水沢観音大駐車場


名称通り大きな駐車場です。


なんか売ってます。


買いましたw 左から花豆、赤唐辛子、割干し大根です。全て群馬県産!


割干し大根を車に入れておくと匂いが充満して大変なことになるので、何重にもビニール袋に入れてしっかり封をしておきます。特に私の場合レンタカーなので匂いが移らないよう気を付けました。

お土産をトランクに入れて散策再開!




水澤寺は上野国の国司、高光中将(こうのみつるちゅうじょう)が菩提(悟りを開き涅槃に入れるようにする為…つまり冥福を祈る)とするため推古天皇・持統天皇の勅願で高句麗から派遣された恵灌(えかん)僧正に開山させたと伝えられています。


御本尊は伊香保姫の御持仏であったとされる十一面千手観世音菩薩。

高光中将?伊香保姫?どなたですか??

こちらの図を見ながらご説明しますw


高野辺3姉妹と若君

継母の嫉妬

無実の罪で上野国勢多郡深栖郷に流されていた高野辺左大将家成(こうのべのさだいしょういえしげ)は、その地で美しい三姉妹(淵名姫、赤城御前、伊香保姫)と1人の若君を儲けます。若君は13の時、母方の祖父を頼り都へ上り、帝から仕官を許されます。奥方が亡くなった後、大将は信濃国更科郡の地頭・更科大夫宗行(さらしなたいふむねゆき)の娘を後妻とし、その間にも一人の娘が生まれた。

その後、大将は罪を許されて都へ戻り、上野国の国司に任命されます。家成は三人の姫君の婿を選び、娘の乳母たちに使いを出します。これを知った継母は嫉妬し、弟の更科次郎兼光を唆し三人の姫君を殺害させようとします。

更科次郎の殺害計画

三人の姫君の内、姉姫は淵名次郎家兼に預けられ淵名姫、次の姫は大室太郎兼保に預けられ赤城御前、末姫(すえひめ)は群馬郡の地頭・伊香保大夫伊保に預けられ伊香保姫となっていました。

更科次郎の殺害計画はこうです。まず長女と次女を預かっている淵名次郎と大室太郎に「巻狩(まきがり)やろうぜ!」とウソを吐いて捕らえ、黒檜嶽(くろびだけ)の東の大滝の上の横枕の藤井谷で斬り殺します。次に淵名の宿所に押し寄せ淵名姫と淵名の女房を捕らえ、大きな簍(たけかご)に入れて利根川の倍屋ヶ淵(ますやがふち)に沈めて殺害。続いて大室の宿所に押し寄せたが、赤城御前と大室の女房は赤城山へ逃れます。ブチギレた更科次郎は大室の宿所を三方から火攻めにし、人々を皆殺しにしてしまいます。『ギャーっはっはっ!舐めたことするからこうなるんじゃあぁ!!』

伊香保大夫

一方、有馬郷にいた伊香保大夫は9人の子と3人の聟(むこ)を大将に任命し、城郭を構え更科次郎を待ち受ける体制を整えます。こうまで事前準備をされては流石の更科次郎も近付くことが出来ず伊香保姫は無事でありました。

赤城御前遭難

大室の女房は赤城の山中を彷徨い、大滝の上の横枕の藤井に辿り着きます。すると谷の方から不思議な女房(誰?)が現れ、二人に果物を下されました。そこで七日七夜を過ごした後、大室の女房は亡くなってしまいます。残された赤城御前は唵佐羅摩女(おんさらまにょ:赤城沼の龍神)に導かれ、赤城沼の龍宮城へ行き、その跡を継いで赤城大明神として顕れます。大室太郎は姫君の擁護により夫婦共に龍宮へ参り、従神王子宮(みとものかみおうじぐう)として顕れ…要するに遭難して行方不明になった姫は赤城沼で亡くなったと推測されたのでしょう。

父・家成

高野辺左大将家成は上野国の国司に着任して東国へ下る途中、駿河国の洋津(興津(おきつ))でこの悲報を知らされます。大将が倍屋ヶ淵を訪ねると波の中から神となった淵名姫が現れ、父に別れを告げると雲の中に姿を消します。家成は淵名姫の後を追い、倍屋ヶ淵に身を投じます。

高野辺中納言

伊香保大夫は足早で有名な羊太夫(ひつじだゆう)を呼び、二人の姫君の死と父大将の自害を伝える手紙を京三条室町の若君に送ります。羊太夫は申刻(さるこく:16時頃)の半ばに有馬郷を発ち、日暮れに三条室町に到着。中納言に成っていた若君は大いに驚き、主従七騎(しちき)で東国に向かいます。この事を聞かれた帝は東山道(とうせんどう)・東海道の諸国に宣旨(せんじ:天皇の意向を下達)を下し、高野辺中納言を警固(けいご)するよう命じます。中納言の軍勢は徐々に増え、武蔵国に着いた頃には五万余騎となっていました。

実行犯と教唆犯の処遇

上野国の国司となっていた中納言は更科次郎父子三名を捕らえさせます。二人の息子は黒檜嶽の東の大滝の上の横枕の藤井谷で首を斬られ(淵名次郎と大室太郎が殺害された場所ですね)、更科次郎は倍屋ヶ淵に沈められ殺されます。継母とその娘は殺さず信濃国へ追放します。

受け入れ先の国司

追放先である信濃国の国司は「ふむ…高野辺の国司は随分と異な事をする。父と姉妹の仇を助け、我が信濃国へ追い払うとは…到底理解出来ぬ。このような極悪人を養う親の顔が見てみたいものよのぅ…」と継母の両親を成敗してしまいます。

姥捨て山

肝心の継母は娘と共に消息不明となりますが、どうやら甥を頼っていたようです。ですが、その甥から「お前のせいで一門は破滅したんだ!」と責め立てられ、母子は編駄(へんだ?)に乗せられ、更科にある宇津尾山の山奥に連れて行かれ置き去りにされます。その夜、夕立が起こり、母子ともに雷に打たれ絶命します。

この逸話から宇津尾山は姥捨て山と呼ばれるようになります。

伊香保姫の結婚

一方その頃、若君は伊香保大夫の宿所を訪れ伊香保姫と再会し「都へ戻るから、後はよろしく!」と、国司の職を妹に譲ります。『任せといて!』と、姫は兄である高野辺中納言の妻の弟に当たる高光中将を婿に迎え、伊香保大夫の後見で上野国の国司を勤めます。

『あのね、更科次郎に殺されそうになった時、この千手観音に救いを求めたら観音様の化身が現れて助けてくれたのよ!聞いてる!?』

妻の話をちゃんと聞いていた高光中将は恵灌僧正を招き、伊香保姫の持仏である千手観音像を本尊として水澤寺を開いたそうな。恵灌僧正は、奈良の元興寺(がんごうじ:国宝・世界文化遺産)を開いた高僧でもあります。

どうだったでしょうか…長かったですね…これであなたも水澤寺博士です!

で、ですね…実は後日談があるんですよw

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伊香保姫の伝説Z(ゼット)

伊香保姫のストーカー被害

伊香保姫と高光中将の間に姫が生まれます。姫は政を離れ、穏やかで幸せな日々を送っており、国司は大伴(おおとも)大将が務めていました。旦那の高光中将も国司の職を退いており、伊香保大夫の元で暮らしていました。

伊香保姫は亡くなったお父さんやお姉さん達を弔うため淵名社へお参りします。その帰り道、国司である大伴大将に目撃されます。

「な、なんと美しい…!」

ストーカーとなった大伴大将は権力を使って姫を奪おうとします。

更科次郎よりヤバイやつ

伊香保大夫は更科次郎一味が襲撃してきた時と同様、9人の子と3人の聟(むこ)を大将として防戦しましたたが、国司は四方から火をかけて攻めたてます。

伊香保大夫は伊香保姫とその姫君、女房と娘の石童御前・有御前を連れ児持山(こもちやま)に逃げ込みます。高光中将は酷く負傷しており、伊香保太郎宗安と共に猛火に飛びこんで姿が見えなくなります。

解決したの?

伊香保大夫は上京し、帝に奏聞(そうもん:天子に申し上げる)します。帝は伊香保姫に再び国司の職を持たせ、娘を上京させるよう仰いました。

伊香保大夫は目代(もくだい:国司が任国へ赴任しない場合の代理)となり…つまり伊香保姫は国司に任命されたのですが、それまで住んでいた場所には戻らなかったんですね。その後、ストーカー大伴大将がどうなったのかは分かりませんが、逃げた伊香保大夫夫妻が目代になって戻って来たということは、問題は解決したのでしょう。

多くの犠牲

そして目代となった伊香保大夫は9人の子を九ヶ所社に祀った。3人の聟も三所明神として顕れた…要するにみんな殺されちゃったんですね。

また、伊香保山の東麓の岩滝沢(水沢川)の北岸に寺を建て、高光中将の遺骨を納めた…旦那さんも亡くなってたんですね。

高光の姫君、つまり伊香保姫の娘は上京して更衣(こうい:天皇の衣替えに奉仕する女官→転じて妾)となり、皇子をお産みになります。皇室と閨閥を結んだんですね。

諸説ある水澤寺の起源

月日は流れ…伊香保大夫は98歳で、その女房は89歳で亡くなります。伊香保姫は石童御前と有御前と暮らしていた…3人は逃げた先で一緒に暮らしていたんですね。

伊香保大夫の建てた寺は高光中将の甥の恵美僧正(架空の人物ですが、これを慧灌僧正に附会する説があります)が別当になったことで益々栄え、岩滝沢に因み寺号を水澤寺とします。

あれ??高光中将が恵灌僧正を呼んで伊香保姫の千手観音を本尊として水澤寺を…って話と矛盾しますね。

諸説ある千手観音の持ち主

伊香保姫は夫の形見の千手観音を寺の本尊に祀り…ここも―――千手観音は伊香保姫がずっと大事にしていた物であり、更科次郎に襲われたときもそれに祈った―――との逸話と矛盾します。公式サイトにも『御本尊は伊香保姫のご持仏であったと伝わる十一面千手観世音菩薩』と説明されています。

それはともかく姫は千手観音をここに祀りながら2人の御前(伊香保大夫の2人娘のこと)と共に、亡き人々の現在の様子を知りたいと祈りました。すると高光中将は鳳輦(ほうれん)、伊香保大夫夫妻は網代輿(あじろごし)に乗り、9人の子、3人の聟と共に御堂に入って来て千手観音に礼拝しました。総勢15人の霊がぞろぞろやってきたと…




神とその眷属

伊香保大夫の女房は輿から出て伊香保姫の御前に居住まいを正すと、娘たち(石堂御前・有御前)の肩に袖を掛け、「お前たち二人の『千手経』読誦(どくじゅ)の功徳により、伊香保山の山神や伊香保沼(榛名湖)の龍神・吠尸羅摩女(べいしらまにょ)に遵(したが)われ、常に御堂に参詣して信心・慙愧(ざんき:心に深く恥じること)し悟りを開きました。今は高光中将を主君とし、その眷属として崇められています。これもひとえに君(伊香保姫)とお前たちのお陰です」と言いました。

高光中将も鳳輦から出てきて、伊香保姫に「あなたの祈りにより忉利天(とうりてん:帝釈天のいる天界)の瓔珞(ようらく:仏の装身具)の台に生まれることが出来ました。我が身も娑婆に天下って神明の形を現し、衆生済度(さいど:苦しんでる人を救う)の縁を以て一緒に正覚(しょうがく:さとり)の道に入りましょう」と言いました。
これが瓔珞なんですが、これの台に生まれた??


伊香保姫と伊香保大夫の娘たちその後…

夢から覚めた伊香保姫は「沼に身を投げて龍宮城の力で高光中将の所に行こうと思います」と云って伊香保沼に身を投げた…えぇ~!?

石童御前と有御前もその後を追った…えぇぇえ~!!??なぜに??

別当恵美僧正と寺僧は3人の屍を引き上げ、水澤寺に運んで火葬にし、御骨を本堂の仏壇に下に収めて菩提を弔った…

なんてこったぁ~!

まとめ



それでは水澤観世音の散策を続けます。


納札堂


おみやげ屋さん(万壽庵)


鐘楼
ひと撞き100円


鐘を撞いたときの様子は動画にて。


梵音拂塵(ぼんおんふつじん)
拂塵とは虫を追い払ったり埃を払う道具。ハエ払い。ハエ叩き。


獅子舞おみくじ


清昌(きよまさ)稲荷


墨田区江東橋の江東観世音(五徳山江東寺)は1940年に、ここ五徳山水澤寺の別院として建立されました。

1932年、民子(梅原妙昌尼(みょうしょうに))という女性に突如、清昌稲荷大神なる神が降りてきた。民子はそれを機に出家。水澤寺で修行した後、稲荷大神の指示により墨田区に江東観世音を建てた。

十二支の守り本尊




六角堂(六角二重塔)


弘法大師と書かれています。


常香炉


本堂(観音堂)


ここに伊香保姫の千手観音があるんですね!!


話を知った後だと感慨深いものがあります。


天井にも隙間なく美しい装飾や絵が施されています。


伊香保姫の伝説に纏わるような物は見当たりません。


気付いてないだけなのかも知れませんが…




水子地蔵尊


仁王門です。


風神!


雷神!


阿吽の阿!


阿吽の吽!






仁王門の為に階段を下り、再び戻ってきました。


龍王辨財天


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