沼田城跡(沼田公園)ひとり旅



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吹割の滝ひとり旅

の続き。

これは2023年7月6日の旅です

8:10am
沼田公園東駐車場


いきなりだだっ広い芝生広場


1532年、沼田顕泰(ぬまたあきやす)により築城。当初は蔵内(倉内)城と呼ばれていた。


沼田氏の始祖については諸説あり不詳となっています。それにしても文字が全く読めない…


武尊山(ほたかやま)かな?


旧沼田町役場復元鐘楼


本丸跡はガーデニングされています。


うさぴょん


天狗堂


でかっ!


遠くに見えるのは沼田市立薄根中学校かな。


真田氏の沼田城入城以降、薬種商(やくしゅしょう)を代々営み沼田藩御用達を務めた生方(うぶかた)家の住宅。


真田信之と小松姫(稲姫)

小松姫は徳川四天王の一人本多忠勝の長女として天正元年(1573)に生まれます。


天正17年(1589)、17歳で徳川家康、または秀忠の養女となり上田城主真田昌幸(まさゆき)の嫡男真田信之(のぶゆき)に嫁ぎます。いわゆる政略結婚です。家康が、自分を打ち負かした真田信幸の才能を買い、和睦するため…と表面上は言われていますが、裏に豊臣秀吉の思惑があったと言われています。


小松姫は女丈夫(じょじょうふ)で、家康や秀忠にハッキリものを言う勝気な女性であったと伝えられています。


慶長5年(1600)関ヶ原前夜、徳川方の上杉攻めに参加していた真田親子は下野国犬伏(いぬぶせ)で石田三成挙兵の密書を受け、三人で協議し、信之は徳川方へ、父昌幸と弟信繁(幸村)は豊臣方へと別れました。


沼田城で留守番をしていた小松姫は、義理のお父さんである昌幸らが上田城へ引き上げる途中、ここ沼田城へ立ち寄ろうとしたので城門をガチャンと閉じ、

「この城は信之の城でありまする!敵となった今、この城門を開けることは叶いませぬ!」

と、昌幸らの入場を拒否した逸話があります。

利根英霊殿。鳥居はもちろん靖国鳥居。


利根沼田地区出身の戦没者が祀られています。


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