【お花見】高家(たかべ)神社ひとり旅~日本唯一の料理神!



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水戸城跡~水戸学の道ひとり旅

の続き。

これは2023年3月28日の旅です


今回の旅は高家神社。さっきまで「こうけ」と読んでまして、ブログを書こうと公式サイトを調べたところ「たかべ」であることに気付きました。

5:27am
20台ぐらい停められそうな駐車場に桜が咲いてます。


主祭神は磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)で尊称は高倍神(たかべのかみ)。天照大神・稲荷大神を併せ祀る。


石の鳥居


護国神社系によくある靖国鳥居ですね。料理の神様なのに?と思いましたが、すぐ隣に忠魂碑があったので納得しました。


↓すぐ隣にある忠魂碑


磐鹿六雁命は日本書紀にも登場しますが、延暦8年(789)にその子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文(うじぶみ)」に詳細が記されています。


景行(けいこう)天皇が「(皇子の)日本武尊による東国平定どうなったかな?」ってことで安房の浮島の宮(浮島神社のあるところ)に様子を見に行った時、侍臣(じしん:要するに家来)の磐鹿六雁命が弓の弦(つる)で堅魚(かつお)を釣り、砂浜では足に触れたものを探り白蛤(しろうむぎ:はまぐり)を採りました。


磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾(なます:生魚の肉を細かく切ったもの)にして差し上げたところ天皇が「これは美味い!おぬしの料理の技、凄いな!これから皇室で料理作ってくれよ!」ってことで膳大伴部(かしわでのおおともべ:朝廷の官職)を賜りました。


この功により若狭の国(福井県小浜市)と安房の国(房総半島南部)の長と定められ、「これからは子孫代々膳(かしわで)の職を継ぎ皇室に仕えるように。もし世継ぎに困ったらその職に皇子を継がせていいから。他の家系の人間に引き継いだりしないでね。」とおっしゃったとか。

壊れてます。押しても反応しませんでした。


高家(たかべ)の「べ」は甕(べ=かめ)に通じ、甕には様々な発酵食品や調味料が保存されることから高倍様として宮中醤院(ひしおつかさ・しょういん)で醤油醸造・調味料の神としても祀られています(『倍』については後述)。醤院(しょういん)とは日本の律令制に於いて宮内省大膳職(だいぜんしき・おおかしわでのつかさ)に属し、大膳職が製造した醤・未醤(みしょう:今の味噌)などの調味料を保管した施設。大膳職とは朝廷で臣下に饗膳を供する機関。

醤の字が初めて登場するのは飛鳥時代末期(701年)の大宝令ですが、古代中国には未醤という熟語はありません。つまり未醤は大陸から伝わった醤に日本が独自の工夫を加えて作った新しい調味料で、それが味噌の前身ではないか?と考えられています。発音も激似ですしね。

高家音頭の歌碑


醤(ひしお)には野菜を発酵させた草醤(くさびしお:漬物)、穀物を発酵させた穀醤(こくびしお:味噌・醤油)、魚などを発酵させた肉醤(にくびしお:塩辛)があり、これらは日本料理の基礎を成すもので、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁でもあります。

社務所


高家神社は延喜式神名帳(927年の神社一覧)に安房国朝夷郡(あさいぐん)高家神社として登載されているが、後に衰退・廃絶したものと見られ長らく所在不明となっていました。「タカイヘノ(たかいえの)」と振られています。


さて、先程登場した高倍様という言葉。高家神社公式サイトやパンフレットにもあるのですが、何故『倍』なのか?についての説明はありませんでした。突然登場するので推測も出来ない。

そこで色々調べたところ、延喜式神名帳に大膳職のページがあり、そこに髙倍神社とあります。見づらいですが、これが高家神社と同一視されているのだと思われます。


元和(げんな)6年(1620)のある日、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門がどういう経緯か分かりませんが桜の木の下を探ったところ「あ!こんなところに木の像が!御神鏡(ごしんきょう)まで!しかも二面!」ってことでそれを御神体として神明社を創建。この時はまだそれが高家神社ゆかりの物だと分からなかったので、高家神社は所在不明のままです。

手水舎




吉右衛門による発掘から200余年後、この鏡面に御食津神(みけつかみ)、磐鹿六雁命と記されていた事が判明し「これは今まで所在不明だった高家神社の御神体に違いない!」ってことで文政2年(1819)に京都吉田御所に証を願い、御幣帛(ごへいはく:神前に奉献するものの総称)を頂きました。


↓それがこちらの神号額(しんごうがく:要するに扁額)で拝殿内正面にあるようです。


拝殿に到着しました。唐破風に見慣れてるからか、こういう屋根の方が格式高いように見える。






拝殿の扉が閉まっているのでガラス越しに中を拝見…


あ!例の扁額がありました!


神輿殿


柵の隙間からガラス越しにお神輿を撮影…反射して私の顔が写ってしまいました(・_・;)


庖丁塚と絵馬


庖丁塚


絵馬


拝殿前から歩いてきた参道を撮影。方角は東南東。


切妻屋根を斜め上から撮影。拝殿も本殿も鰹木が7本で奇数なので磐鹿六雁命は男神ですね。向拝にも3本あります。


真上から。幣殿も良く見えます。左にある小祠は庖丁奉納殿。


もっと上空から。


千倉港が見えます。中央の赤い建物は南房総市立千倉子ども園。


手前の海岸は瀬戸浜海岸。


地上に戻りまして、庖丁奉納殿。


本殿を拝もうと奥へ進むと更に小さな小祠が。何が入ってるんだろう~?


本殿


竹に模様が彫られてます。


ハート


三宅孤軒碑
三宅孤軒(みやけこけん)さんとは1930年に日本料理研究会を設立した同研究会初代会長のお名前。

設立当時、日本料理界は多くの調理師会が割拠し、調理人を多くの日本料理屋に派遣していました。そのため調理人はお店に対する帰属意識が薄く、調理師会の権限や権威が絶大でありました。

そんな日本料理界を危惧したジャーナリスト三宅孤軒氏が同研究会を設立。

なるほど。この神社にピッタリの石碑ですね。

御神水(おしんすい)


竹のパイプに蛇口が付いてます。


それでは隣にある忠魂碑の方へも行ってみたいと思います。こっちの方が桜ありますね。


忠魂碑


3月の朝6:14、しかも曇っているので暗い写真ばかりですがこれはこれで雰囲気があっていいかも。


色温度を少し下げました。寒さが伝わってますでしょうか?


フクロウちゃんを乗せて撮影


忠魂碑を入れてボカしてみました。


そろそろ次の目的地へ行きたいと思います。


靖国鳥居以外に竹の鳥居もありますね。


隣にある南房総市千倉社会福祉センターの桜。今度はほこりちゃんを載せてあげよう。


駐車場裏にある、ふしぎの国へ繋がってそうな小路。


最後に駐車場の桜を撮影


次の旅へ行く

【お花見】館山城(城山公園)ひとり旅



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