調(つき)神社ひとり旅



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調(つきのみや)公園ひとり旅

の続き。

これは2024年9月9日の旅です

12:42
稲荷神社仮殿と調神社旧本殿


神輿殿かと思いましたが旧本殿を保護していたんですね。


なんか随分綺麗ですが…保管する際、塗り直したりしたのかな?


旧本殿から伸びる参道は真南を向いています。


生涯の影ある秋の天地かな 長谷川かな女(はせがわ かなじょ:1887-1969)
苦難を乗り越え、新天地・浦和を愛し、ここを生涯の地と決めた…


参道から見た旧本殿


神楽殿が絵馬保管所になり、絵馬殿になっています。


神楽殿の正面が駐車場に…


新品の熊手が浮いてます。




大正六年七月 岸町冨士登山記念
女性の名前がありませんね。


さぁ、拝殿です。


それではご由緒を…


開化天皇の御代、奉幣の社として創建。奉幣とは神に幣帛(へいはく)を捧げる儀式。神社の祭祀や天皇の勅使によって行われる。幣帛とは祭祀で神に奉献されるものの総称。布類や金銭など食べ物以外の供物。

崇神天皇の御代、勅使である倭姫命(やまとひめのみこと)が調物(ちょうぶつ:朝廷や支配者に献上される物品)を納める集納運搬所と定める。運搬効率を上げるため鳥居を撤去。

771年6月20日、宮内少輔(しょうゆう:役職の1つ)従五位下中臣朝臣(あそん)常恣勅使奉幣を賜う(現在行われている例大祭の起源)。朝臣とは684年に制定された八色の姓(やくさのかばね)で作られた姓(かばね)の一つ(上から二番目)。

中臣常恣という人物が不明です。同じ時代、似たような位や役職に就いていた中臣常(なかとみのつね)という人物がいます。中臣常が恣(ほしいまま、勝手気ままに)奉幣を賜った…というのを現代語訳するとき間違えたとか?

927年、左大臣菅原道眞参向、神社調ノ上延喜式内国祭(こくさい:国司が参向して行う祭祀)として奉幣使来拝社と定められる(国幣小社)。奉幣使来拝社とは勅使が神社に奉幣するため参拝へ来る事。勅祭社(ちょくさいしゃ)。国幣小社は日本において国(令制国)や都道府県から幣帛料として補助金を貰える神社。

拝殿


神紋は左三つ巴ですね。お賽銭箱の紋は十六葉菊の中に左三つ巴が入ってます。



月次祭(つきなみさい)は1日と15日


武陽旭正宗は埼玉の地酒。その隣には何故か岩手誉。



拝殿の中


社務所へ行ってみます。


買いました。ウサギの背中に左三つ巴。何故ウサギなのかというと、調(つき)→月で、古くから月の出を楽しむ月待信仰があるから。しかし御祭神にツクヨミがいないのは納得いかない…と思っているのは私だけじゃ無いはず。


むかし使用されていた狛犬…じゃなくて狛兎ですかね。氏子中(㐧に見えますが…)と彫られています。


神輿庫がありました。


燈籠の窓が三日月になってます。


お手水もウサギ


なんかちょっとブキミ…


おみくじ凄いな。


絵馬も凄い


調宮(つきのみや)天神社
本当かどうか分かりませんが、927年に菅原道眞がここへ参向したんでしたよね。延喜式神名帳が纏められた年なのは偶然か?


金毘羅神社


境内南側の狭い参道にある手水舎は普通の水道です。


画像右側、西側の参道入口には鳥居があります。


宮司さん


うわっ!


ご由緒
先ほどの説明と一致してますね。


ここがメインの参道入口でしょうか?ご由緒の通り鳥居がありません。つまりここが荷物運搬のメインゲートだったのでしょう。ちなみに方角は真西で、拝殿に対し垂直です。


狛兎


どちらも口を閉じていて、阿吽の呼吸をしていません。





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