2025年1月のお知らせ
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FXで旅費を稼ぎながら全国を旅するトレーダーの手法
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フラワー長井線ひとり旅
の続き。
これは2022年11月10日の旅です
Contents
大イチョウ前
7:46am到着しました。先ずは入口の大イチョウに目を奪われることでしょう。
【熊野神社】と書かれた石碑を入れると漏れなく交通標識も入ります(^^;
結婚式場
すぐ隣の結婚式場「證誠殿(しょうじょうでん)」にも綺麗な紅葉が。鳥居が無い?
もっと近くで撮影します。交通標識の向こう側で改めて自撮り。
ブログ編集中「あれ?鳥居はどこだ?」と思ったら離れた場所にあることを『今』知りましたw
ちなみに今回参考にしたマップがこちら。距離感が…
このマップを見て私は勝手に山寺(立石寺)のようなサイズ感をイメージしていたので、「あれ?もう全部回っちゃった?」というのが正直な感想でした。もちろん立派な神社です。
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それでは失礼します
手水舎
霧が神秘的。私以外誰もいないのでゆっくり撮影できます。
個人的にこの写真が気に入りました。ボケ具合と光のバランスが。
狛犬の前でほこりちゃんと2ショット。
流石に拡大しないと見えないか。
土社(どしゃ)神社本殿
末社ってやつですね。本殿ってことはここに神様がいるのか。又は時々ここへ下りてくる。社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)。熊野大社に現存する建物の中で最も古く室町時代末期(16世紀)建立と推定。
祭神は訶志古泥神(かしこねのかみ)で案内板によると
土から生成して初めて人間の形となった両足神の妻の神。自然の生成力への感動を表現した神様で自然と土への感謝の神様としてお祀りしている。酉年の守り神。
とあります。本地仏は不動明王。一間社流造の一間社とは神社本殿で母屋(もや)正面の柱間(はしらま)が一つのもの。
確かに正面の柱が2本なので柱と柱の間は1つ…あたりまえ体操。
流造とは屋根が曲線形に長く伸びて向拝(こうはい)となったもの。向拝とは屋根が前に張り出した場所。これが長ければ雨が降っていても参拝しやすい。流造は全国で最も多い神社本殿形式。
テナント多数!神社のショッピングモール
一ヶ所でたくさんお参りが出来て便利ね!でも小さい神社が潰れちゃうよ~右から…
- 古峯神社 日本武尊
- 山神社 大山祇(ネ氏)神
- 青麻(あおそ)神社 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
- 大宮子易(こやす)神社 木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)
防火の神様
山を司る神様
中風病避けの神様
安産祈願の神様
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古峯神社
よし。じゃあまずは古峯神社からいってみっか。反火山信仰?
古峯信仰は火伏(火防)の神として知られ、豊作、家内安全、村内安全などの神としても尊崇を集めている。峯(峰)って言うぐらいだからやはり山岳信仰みたいなものかと思われます。しかも峯限定なので、より山の尖った部分を信仰していると。
山の尖った部分…火山(とは限らないが)…だから火防の神?では何故【古】峯なのか…?
文字通り古いって意味ではないかも知れません。ただの当て字かも知れません。別の字から変化したものかも知れません。【古】には私の知らない別の意味があるのかも知れません。
しかしそれを敢えて無視して推測すると(要するに分からない)、古い峯ってことはもう火山としては活動しておらず、つまり休火山・死火山を意味し、だから安全=防火…
ってことでひとつよろしくお願いします。
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山神社
次!山神社!名前がシンプルで分かり易い!wシンプルイズベスト
どう考えても山岳信仰ですが、浅間神社、古峯神社のようにもう少し他に無かったのか…【山】って…包括し過ぎでしょw総本社は大山祇神社(愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地)ってことでいいのかな?
「つみのかみ」の祇がネ氏になっていたり、ふりがなが「づみのかみ」になっていたり微妙にフェイント入ってます。衣辺の衹は出てくるのですが、「衤(ころもへん)」は衣服の襟元、「礻(しめすへん)」は神様を祀るときの祭壇を意味するので、やはり示(ネ)辺でなければなりません。
「ツ=の」「ミ=神」なのでオオヤマツミ→オオヤマの神→大いなる山の神…なので大山祇神(オオヤマツミノカミ)とすると「大いなる山の神の神」になる。
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青麻神社
総本社は宮城県仙台市宮城野区岩切字青麻沢三十二番地。穂積保昌(ほづみやすまさ)
主祭神は天之御中主神(星神)・天照大御神(日神)・月読神(月神)。常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)を併祀(へいし)。神仏習合の時代には大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩を本地仏に。仁寿2年(852)社家の遠祖穂積保昌が山城国(現京都府)から当地に下向し一族が尊崇していた日月星の三光神を清水湧く山峡の岩窟中に祀ったのが始まり。
穂積保昌がそこで里人に麻の栽培を教えたことにより青麻の地名・社名となり神紋も麻の葉になった。
常陸坊海尊
400歳まで生きていた…とされている伝説の人物w 当社の中風病退除は園城寺または比叡山の僧であった…とされている常陸坊海尊の霊験によるもの。『天和二年(1682)源義経の家臣である常陸坊海尊(清悦仙人)が下野国(しもつけのくに)出流山(いずるさん)大日窟(栃木県万願寺鍾乳洞にある大日霊窟)よりこの地に至り霊験を顕し給いしにより併祀。』
ってことで、それ以来青麻神社とコラボしてるんですね。
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大宮子易神社
小國(おくに)神社から大宮神社へ
遠江国周智郡小国郷椿村(とおとうみのくにしゅうちぐんおくにきょうつばきむら)の小國神社(現静岡県周智郡森町一宮)から大己貴命(おおなむちのみこと)を山形県西置賜郡小国町(おぐにまち)大宮に勧請し、小国町一ノ宮として大宮神社を創建(和銅5年(712)4月18日)。一ノ宮とは地域の中で最も社格が高い…とされる神社のこと。その後、小国町内の二宮原にある子易神社から4柱の神々(高皇産霊尊(たかむすびのみこと)神皇産霊尊(かみむすびのみこと)国常立尊(くにとこたちのみこと)木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと))を勧請し大宮神社と合祀。
それが山形県西置賜郡小国町大字大宮字御手洗下二四三ノ一番地にある大宮子易両神社。
ってことで一番左の大宮子易神社は、その大宮子易両神社から勧請された神社ってこと。
安産祈願や木花開耶姫命は元を正せば山形県西置賜郡小国町にあった子易神社から来ている。その子易神社は現在どうなっているのか?総本山はあるの?二宮原ってどこ?については調べ切れておりません。
二宮原ってどこだ…
そもそも小国町大宮という住所も以前からあったものかどうか…何故なら静岡県の小國神社を勧請したから小国町となり、一ノ宮を建立したから大宮って名前にした…と考えられるからです。そうだとするとそのタイミングで町内の住所が一新され、二宮原という地名も消えた…のではないかと。
もっと言うと神社公式サイトの「小国町内の二宮原という地の子易神社を…」の小国町…実は静岡の小国郷のことかも知れない。
古事記のような文献に出てくる小国という地名を、当時は存在しなかった(と私が勝手に推測する)山形県の小国町と勘違いしたとか。何しろ1300年以上前の話ですからね。
戦国時代この辺に小国城(おぐにじょう)があったことは分かっていますが、それも1500年代のこと。大宮神社の712年から800年も経過しています。712年といえば日本最古の書物古事記が編纂された年。日本書紀の完成は720年。
日本最古の文献以前
また712年といえば置賜郡の管轄国が陸奥国から出羽国に変更された年でもあります。このとき地名が大きく変わったと推測されます。その時小国になったんじゃないかな~?wちなみに小国町の初登場は1942年で小国本村(おぐにもとむら)から改称されたとき。
静岡でも二宮原(二之宮原・二ノ宮原)という地名を探しましたが見付かりませんでした。古事記・日本書紀を隅々まで読むべきなのか?(・_・;)
静岡の小國神社に至っては555年(?)2月18日建立とされています。古墳時代ですよ(・_・;)
弥生時代~古墳時代のお墓にあった石が実は硯(すずり)や墨であった…かも知れない。つまり文字があったかも知れないってことで考古学者が調査中ですが、それを使った記録が見付からないとな~。
ヒエログリフみたいに風化されず残ってるのがあれば…ポンペイの遺跡みたいに保存状態のいい場所に木簡とかが埋まってれば…
衝撃の事実
と、ここまで調べ大変なことが判明してしまいました…まず…712年に建立された大変な歴史のある大宮子易両神社…である筈なのに延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう:927年に纏められた全国の神社一覧)に載ってない。なんでだ!?
2つ目。木花開耶姫命(安産祈願)ばかりが持ち上げられ、大宮神社時代からの大先輩大己貴命の影が薄いw 大国主神(おおくにぬしのかみ:日本を作った)ですぞ!
う~ん…712年…この頃の山形って蝦夷地…つまり外国ですよね。700年代初頭から東夷だの征夷だの、なんとかして東北地方をプロパガンダや武力で征服しようとしていた時期。
そんなご時世にわざわざ静岡から大国主神を勧請するか~?いや、そもそも可能なのか??朝廷がそれを許すのか?
って考えると延喜式神名帳に大宮子易両神社が載ってないってのも筋が通ってしまう…それとも単に漏れただけなのか、違う名称で載っていて紐付け出来てないだけなのか…
ちょっと長くなってしまったので熊野大社の続きは次の記事に回したいと思います(^^;
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熊野大社ひとり旅~神社の中に鐘楼?
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