世良田(せらだ)東照宮ひとり旅



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日本七社~冠稲荷神社ひとり旅

の続き。

これは2023年7月3日の旅です


徳川家康をご祭神とする東照宮の1つ。1617年(元和3年)駿河国久能山(静岡市の久能山東照宮)より下野国(しもつけのくに)日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国(こうずけのくに)世良田へ移築、創建された。新田荘遺跡として国の史跡に指定。

15:14
歴史公園(新田荘歴史資料館前)の駐車場


歴史公園




今日は月曜日なので資料館は休館しておりました。


新田義貞公之像


ところでなぜここ世良田に東照宮を移築したのか?についてちょっと調べました。

武家の棟梁として名を馳せた源義家(みなもとのよしいえ:通称、八幡(はちまん)太郎義家)の孫である源義重(みなもとのよししげ)は、お父さん(義国:よしくに)と一緒に上野国新田郡を開拓します。


現在の群馬県ですが、何故この場所を開拓しようとしたのか?

っていうと、義国はこの前に下野国足利荘(あしかがのしょう:現在の栃木県)を開墾し、これを次男の義康に継承させていたからその隣である群馬に領土を広げようとするのは自然の流れですね。

さて、話を進める前にここで「上野国/下野国」についてお話したいと思います。

古墳時代、関東には毛野(けの・けぬ)・那須と呼ばれる地域がありました。


この毛野が上下に分かれて上毛野(かみつけの・かみつけぬ)、下毛野(しもつけの・しもつけぬ)となったと言われています。ちなみに毛は穀物を表しており、つまりここが豊かな穀倉地帯であったから…と言う説があります。

常陸国風土記には毛野河は筑波西部の郡の境界、続日本紀には毛野川は古くから常陸国と下総国の境界と記されており、毛野と毛野川(現在の鬼怒川)との深い関わりが伺われます。

大宝律令(701年)の制定においても上毛野は上毛野国として令制国の1つに定められます。その後、上毛野国・下毛野国は上野国・下野国と改められ、毛の字は消えましたが「こうず【け】のくに」としてその名残を留めています。また、上毛(じょうもう)という言葉は令和現在でも上毛線のように用いられています。



さて、その上野国の新田郡を源義重はお父さん(義国)と一緒に開拓し、新田義重を名乗ります。新田氏の誕生です。かの有名な新田義貞は仍孫(じょうそん:7代後の子孫)に当たります。


ちなみに…源義重は義国にとって3番目に生まれた男子なのですが嫡男(正室の1番目の男子)なので長男として扱われています。

初代新田氏である義重にも子供が生まれます。その中の四男・義季(よしすえ)がお父さん(義重)から上野国新田郡世良田郷を譲られ地頭となり世良田義季に(諸説あり)。

いずれにしろ世良田氏は新田氏から分立した豪族なのですが、関東に入った徳川が「我々はこの地を発祥とする世良田氏の末裔である。世良田義季は我々の祖先だ」と自称していたため、ここが徳川氏ゆかりの地となったようです。言ったもん勝ち的な?

7月ですが紫陽花が満開です。




御神域桜
樹齢不詳:群馬県一太いソメイヨシノ


新田荘遺跡
御黒門


真東を向いています。


世良田東照宮 上番所
警備員が使っていた道具ですね。火災時には大団扇で火消しを行ったと書かれています。余計広がりそうですが…


手水舎


国重文 鉄燈籠


鳥居も真東を向いています。


柵に塞がれて拝殿まで行くことが出来ません。何の案内もありませんがヘルメット被った人がいるので修復でもしてるのかな。


白いツナギを着たちょっとガラの悪い作業員が脚立を使って作業してましたw


境内社の稲荷神社。どこにでもありますね。お稲荷さんって儲かるのかな。


開運稲荷社
赤い鳥居は出エジプトのときユダヤ人の家であることを示すため動物の血で玄関扉の枠を塗ったのが由来だとか。


オラー!チャキチャキ働けー!w


北側に日枝社神猿(まさる)があります。


神猿(まさる)=勝る=魔去るってことで勝運や魔除けの神として祀られています。また、猿(えん)=縁ってことで商売繁盛や縁結びとして参拝する方もいるとか。語呂が好きですね。言霊ってやつかな。


さて、こちらには誰もいないので今のうちに上空から様子を見てみたいと思います。中央にある小さな屋根が日枝社神猿。その右側にあるスペースが徳川義季公累代墓。義季とは先程の世良田義季(せらだよしすえ)のことですね。


入ることの出来なかった拝殿を上空から確認。なるほど、本殿が改修工事中なんですね。でも拝殿は工事中って訳でもありません。普通の神社なら改修工事中でも参拝出来ますが。


駐車場、新田荘歴史資料館、東照宮、芝生広場(世良田館跡)を同時撮影


プールが見えます。太田市立世良田小学校のですね。


手前の細いのが早川、奥の太いのが利根川。利根川に架かる上武大橋は利根川と広瀬川の合流ポイント。


秩父方面を撮影。もちろん見えませんが。


高崎駅に戻って参りました。


駅前ロータリー


17:46
自炊せずに食べられるものを買ってきました。


地酒


上州の地酒…上毛の地酒とは言わないんですかね。


ホテルからの夜景


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草津温泉西の河原公園~湯畑ひとり旅



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