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山名八幡宮ひとり旅
の続き。
これは2023年7月5日の旅です
創建について
上毛三山の一つ妙義山(旧名:はこそやま)にある典型的な山岳信仰神社。宣化(せんか)天皇2年(537)創建。日本三代実録の貞観元年(859)の条には「授上野国正六位上(しょうろくいのじょう)波己曽神(はこそしん)従五位下(じゅうごいのげ)」と記されており、当時は波己曽神社と呼ばれていたようです。
波己曽とは岩社(いわこそ)の意。

妙義の由来
妙義の由来は諸説ありますが、公式サイトは「後醍醐天皇(1288-1339)に仕えていた権大納言長親卿(ごんのだいなごんながちかきょう:花山院長親:1347?-1429)が此の地に住み着き、明々魂々(めいめいぎぎ)たる山の奇勝を愛で、明魂(めいぎ)と名付けた。これが転訛して妙義となった…」の説を取っています。創建から約800年後の出来事になりますね。長親卿が生きていた年代を見ると後醍醐天皇が崩御された後に生まれているので、本当かどうか分かりません…
その花山院長親(かさんのいんながちか)は出家したとき子晋明魏(ししんみょうぎ)と号しており、ここから妙義と名付けたという説もあります。
いずれにしろ妙義権現が登場したのはこの後(14世紀以降)で、少なくともその時点で波己曽神社は本地垂迹説の圧力によって摂社に成り下がっていたと…(´;ω;`)ウゥゥ

ですが、ここは奇岩も多く修験するには持ってこいの場所であると創建当時(6世紀)の人も思っていたはずなので、ここ波己曽神社に修験道の為の宿坊(別当寺・神宮寺)はそれ以前からあったのではないかと思います。修験道と言えば山。山と言えばお寺…ですし、既に神仏習合は始まってましたし。
また、公式サイトに「別当である白雲山高顕院(こうけんいん)石塔寺(せきとうじ)は寛永14年(1637)に中興(ちゅうこう)の祖と伝わる長清法印(ちょうせいほういん)が入院し、上野東叡山寛永寺の末寺となる。」と書かれています。創建から1100年経つ1637年に上野東叡山寛永寺から出向してきた長清法印が復興を開始したと。
上野東叡山寛永寺と言えば、昨日(2023年7月4日)行った鬼押出し園にも登場しましたね。

その後、明治の神仏分離で石塔寺は廃寺(ハイジ)となり、妙義大権現、改め妙義神社となります。主祭神も権現から日本武尊に。え?波己曽神は復活しないの??
安心してください!波己曽神は摂社・波己曽社(はこそしゃ)にお祭りされています!!
え~!?摂社ぁ~!?
7:42am
そんな妙義神社を上空から。霧が凄い。

拝殿、本殿は左の森で見えません。見えているのは社務所と波己曽社殿。

駐車場は道の駅を始め、他にもたくさんあります。

北を撮影

総門が見えてきました。

高顕院と書かれ、しかも仁王様が居ます。神仏分離した後、戻って来たのでしょうか?どう見ても仁王門ですが、公式サイトでは総門と説明されています。

凄い石垣。上へ行くと分かりますが、柵とか無いので小さいお子様から目を離さぬよう…江戸時代半ば妙義山の安山岩を用いて築かれた。

階段多いです。私は階段好きなので平気ですが。

総門を裏から

天然記念物 妙義神社の大杉

本当にいい所でシャッター回数が増えてしまいます。

白雲山…神額に寺院の山号が書かれた銅の明神鳥居。神仏習合おもしろい。


なんか分からないけど凄い。

宝物殿ですね。左側に旧宮様御殿寶物拜観所入口と書かれています。

本日はお休みでしたが、立派な天狗様を拝めただけで満足です。

妙義神社のウラジロガシ


聖徳皇太子

波己曽社
これがオリジナルの神様【波己曽神】を祀った波己曽社です!
キンピカ!

お手水!

建立当初(1656)の姿に復元したらしいが、幣殿と本殿の区別が…

裏には厳島神社

こっちは社務所

本番はこれから!

随神門で阿吽の呼吸

阿

吽

裏側には赤鬼の阿

緑の青鬼の吽

いや~上った上った。柵とか無いので気を付けてね。

あとちょっと!

8:10am
到着!

更に山を登ると奥の院がありますが、崖に打ち込まれた鎖を伝って行くような険しい所だったので諦めました。

いつか行ってみたいですが、その場合は大きなカメラバッグを置いてリュックだけで挑むことになるかな。その前に石門めぐりが先か。

拝殿をパシャパシャ撮影していたら、パンフレット頂きました。うれしぃ~!!全部読みました~

扁額がゴールドでカッコいいっす。

屏風もキンピカ

天井の絵も1つとして同じものがありません!

龍も(ry

カラフル。頻繁にメンテナンスしてるのでしょうか。

シャッターが進むっす。

裏に回りました。

烏天狗と天狗のお面?こわっ!

本殿も切妻屋根ではなく拝殿と同じ黒漆塗銅茸入母屋造り。

典型的な権現造り。

権現造りとは神社の建築様式の一つで、本殿と拝殿を石の間(合の間)と呼ばれる幣殿で繋ぐ様式のこと。石の間造り、八棟造りとも。

帰りは別ルート(北東側の参道)から下ります。

その前にもう一度拝殿をパシャリ!


水神社

ご覧の通り奥之院へのルートは上級者向けです。

ここから上るのかな?


愛宕社

山腹水路

この風鈴がいい音出すんですよ。遠くでおばさんが大声で長電話してるのがウザかったですが、それさえなければいい所でしたw

「雲に嶮し(さがし) 妙義ひぐらし 青の陣」多希女(たきじょ)

河野多希女:大正11年(1922)横浜生れの俳人だそうな。
ちりんちり~ん

9:25am
妙義山植物園

赤門


わーい!

駐車場に戻ってきました。

天狗のお守り700円

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富岡製糸場ひとり旅





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