金剛山金乗院平間寺(川崎大師)ひとり旅



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高麗ひとり旅~日和田山~物見山~五常の滝

の続き。

これは2024年10月2日の旅です

6:21am
京急大師線に乗ってきました。川崎大師駅で降りて表参道を歩いています。


駅から一番近い入口、西解脱門から入って最初に目に入るのがしょうづかの婆さん。三途の川で待ち伏せし、死者の衣服を剥ぎ取る奪衣婆(だつえば)のことです。


そんな婆さんのお守りが売ってます。「身も心も美しく」って言われても…


不動堂
日本語で飲食禁止と書かれています。こんなところで飲食する日本人いるの?と思いましたが、結構ヤンチャそうな人々が早朝から散歩してましたw ちょっと治安悪いのかな?


右は大本坊。元々はここにご本尊が安置されていましたが、戦後(昭和33年5月)に御本堂へ遷座。現在は寺務所になっています。遠くに見えているのは不動門。


八角五重塔


手水舎
盥石は石匠竹内喜助による物。


手水舎の隣で自撮り。朝日が眩しく目を瞑ってしまいました。


ほこりちゃんもいるよ。


忠魂碑
「希典書」と彫られています。乃木希典のことですね。


メインの門(大山門)です。手前にあるのはお香(献香場)。左上に見えるマンションはシャリエ川崎大師。


金剛山金乗院平間寺(こんごうさんきんじょういんへいけんじ)、通称川崎大師の大本堂です。


当山のご由緒は平安時代末期・崇徳(すとく)天皇の御代(1123年2月25日~1142年1月5日)まで遡ります。

無実の罪で尾張(愛知県)を追われた平間兼乗(ひらまかねのり)は川崎に辿り着き、漁師として生計を立て乍ら弘法大師を崇信していました。

42歳厄年の時、夢に出てきた高僧に色々言われ、その通り海に出て光り輝いている場所に網を投じ引き揚げた木像こそ御本尊・厄除弘法大師尊像でした。

兼乗は尊像を浄め、草庵にお祀りし朝夕欠かさず供養を捧げました。


ある時、ふらっと現れた高野山の偉い人(尊賢上人)に、これまでの事を話したら感激されました。

そして大治3年(1128)にお寺を建立。兼乗の姓・平間から平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊に厄除弘法大師を奉安。

長承3年(1134)お大師様のご加護ご利益により無実の罪が晴れた兼乗は生国尾張に帰る事が出来ましたとさ。

お大師様(弘法大師空海上人)は宝亀5年(774)讃岐国屛風ヶ浦(香川県善通寺市)で生まれ、日本に真言密教の教えを広めました。


第一區筒先中、江戸消防第二區と書かれた行燈(?)が吊るされています。區は区のことですね。


大山門側のお手水。


14mmの超広角レンズで撮影したら八角五重塔がピサの斜塔みたいに…


大本堂とその参道は真東やや南を向いていますので朝日を正面から浴びています。


大山門


提灯の文字、読めます?「魚がし」だそうです。「魚の゛し」又は「魚のじ」にしか見えませんが…


扁額には金剛山


自撮り


自撮り無しバージョン


四天王像・広目天


四天王像・多聞天


四天王像・持国天
これだけ口を開けています。


四天王像・増長天
全て東寺の四天王立像(839年)を模したもので、仁王様ではないんですね。


八角五重塔
目立つので何度も撮影してしまいます。


弘法大師千百五十年御遠忌供養塔
御遠忌(ごえんき):開祖や高僧の祥月(しょうつき)命日に行われる法要。特に100年以上の年忌を指し、50年毎に大々的に行われることが多い。


まり塚


句碑や記念碑


昭和20年4月15日(1945)未明の戦禍により焼失した山門の跡地に、第四十三世高橋隆超(たかはしりゅうちょう)大僧正が昭和23年(1948)に福島から譲り受け移築した門。


高橋隆超大僧正


昭和52年(1977)に現在の大山門が建立されたので不動門としてここへ移築。

不動門のわらじ


信徒休憩所


鐘楼堂


鐘木の紐が固定されていて撞くことが出来ません。


白い屋根の薬師殿、やすらぎ橋、つるの池。


金色の降魔成道釈迦如来像(ごうまじょうどうしゃかにょらいぞう)


薬師殿








やすらぎ橋


で、自撮り。


降魔成道釈迦如来像(ごうまじょうどうしゃかにょらいぞう)


やすらぎの鐘と観音様


やすらぎ広場


信徒会館
寺紋は丸に三ツ柏


至真門(ししんもん)


外に出てしまいました。


まだ見てない所があるので再入場。お地蔵さんにマスクさせるとは、なんてバチ当たりな…


福徳稲荷堂
川崎大師は空襲で殆ど全てのお堂を焼失しましたが、その難を逃れた貴重なお堂。


茶筅塚と中書院


大本堂を横から見たところ。


露店の痕跡があります。


遍路大師
昭和48年(1973)の弘法大師ご誕生1200年記念事業として造顕。


献水と言って、遍路大師立像に水を掛けて健康と健脚を祈願するようです。


力石



また不動門まで戻ってきました。一階部分にも屋根があるので二重門ですね。


不動堂の正面に露店インフラ


橘樹(たちばな)郡出身征清(せいしん)陣兦(じんぼつ)軍人招魂碑
橘樹郡は港北区、鶴見区、神奈川区、保土ケ谷区と西区の一部。征清とは清国と戦うこと。陣兦(歿、没)は戦地で亡くなること。


第五十五代横綱 北の湖敏満(きたのうみとしみつ)之像


川崎大師平間寺の檀家なのだそうです。右隣りには神奈川消防組碑。


もういい?


献木いちょう 植木供養之碑


高浜虚子の句碑
金色の涼しき法の光かな


沙羅双樹
仏教の聖木。お釈迦様が入滅した際、四方にあったとされる木。日本ではナツツバキが用いられることが多い。








明治27年(1894)11月3日に川崎大師を参詣され俳句を詠んだ正岡子規の句碑
朝霧の雫するなり大師堂


施茶翁塚(せちゃおうづか)
江戸の医者、羽佐間宗玄(はざまそうげん)は雅号(がごう)を瓢仙(ひょうせん)と称す。瓢(ふくべ・ひょうたん)を愛蔵し抹茶を点てるのが楽しみで施茶翁と称された。「地獄いや極楽とても望みなし又、六道の辻で施茶翁」。ここで供養されているのは茶筅や瓢などである。


他にも石碑多数。


宝篋印塔(ほうきょういんとう)
篋(はこ)に中に経文(きょうもん)が入っているアレですね。


経蔵
中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経(けんりゅうばんだいぞうきょう)」7240冊を収蔵。


大本堂


清瀧権現堂



納札殿(お札・お守り納め所)


聖徳太子堂


以和為貴…和を以て貴しと為す(わをもってたっとしとなす・とうとしとなす)…ですね。篤敬三宝(とっけいさんぽう)は三宝(仏・法・僧)を深く敬うこと。これも十七条憲法に示された教え。


ひらまくん/1,000円


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大師公園(瀋秀園)ひとり旅



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