寒河江川ひとり旅~慈恩寺~寒河江川橋~二の堰



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為替全体のボラティリティが上昇しています。これから更に大きく動くことになるかと思います。ボラティリティの大きな相場は初心者にとって怖いかも知れませんが、しっかりと準備をしているトレーダーにとっては願ってもないチャンスです。

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瑞宝山慈恩寺ひとり旅~謎の鳥居!?

の続き。

これは2022年11月11日の旅です

子安地蔵堂

宝蔵院へ続く道の途中にあります。


寅さんの腰掛け石

映画の中でそういうシーンがあるのかと思ったら、撮影の合間にちょっと座っただけ。


しかも、それも定かではないw


四脚門(しきゃくもん・よつあしもん)

2本の門柱と4本の控柱(ひかえばしら)で構成されてるので四脚門かと思います。基本的に門柱は円柱、控柱は角柱とのことですが、ここのは全て角柱になってます。


本堂


あら?九輪の輪が7つしかない…七輪(しちりん:コンロ)ってか?


華蔵院

子易地蔵のすぐ隣に立派な堂宇が。


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山王台公園

9:22am
それでは熊に注意しながら山王台公園へ行ってみたいと思います。


古峰神社

峯だったり峰だったりするので注意が必要。なかなか坂がキツイです…


挫折

旅行5日目で足が…やっぱり帰ることにしましたw

平地は平気なんですが、ちょっとでも傾斜のある上り坂だとすぐ息が上がってしまい足がプルプルしてしまいます。

帰りは2駅分、つまり寒河江駅まで歩くので体力を残しておかないと。

また今日は家族のおみやげを買うため早めに山形駅へ着きたい。

何故なら荷物は明日の朝チェックアウトするとき往復宅急便で自宅へ送ってしまうため、今日中におみやげをスーツケースに入れておきたいから。

移動中、荷物を持ち歩きたくありませんし。

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ちゅー散歩

9:57am
寒河江川沿いの自転車歩行者専用道。駅まで遠回りですが車も来ませんし静かなのでギリギリまでここを歩きます。


寒河江川橋

10:51am
川沿いを1時間近く歩きました。遠くに見えるのは寒河江川橋。


そのまんまの名称ですね。それだけメジャーな橋って事で。オブジェは名物のさくらんぼ。


橋の上から歩いてきた道を振り返ります。


ここも浅いですね。船は無理そう。


二の堰

こういった剥き出しの用水路をよく見かけます。奥に見える丸いのは寒河江市石持町の円筒分水工。

二の堰について調べてみました。

約600年前、寒河江城主大江氏によるお城の改修工事の際、お堀に大量の水が必要となったので寒河江川の右岸から掘った堰。

水が綺麗なのでこれを利用した新田も開発され、今日の繁栄の基礎が築かれている。

現在は二ノ堰用水路の一部を親水公園とし、市民や県内外から訪れる人の憩いの場として提供。

曹洞宗洞雲山龍泉寺

まぁこれぐらいの階段なら…


サクッと見学してみますか。


デフレだ不景気だと言っても立派な神社やお寺が沢山ありますね。やっぱ儲かるのかな?税も優遇されてるだろうし。


山岸の雪屋

見えませんが、塀の向こう側に歴史ある家があるらしい。


読めます?

寒河江川の伏流水と二の堰の水を用いた寒河江の天然氷。山岸の雪屋と称した三軒の雪屋(菅井・水戸部・井上家)で作られた。いずれも家浦(中央地区)に「ツツミ」と井戸を持ち、長岡山楯(城)の空濠の土手を利用して「雪穴・ムロ」を構築していた。その創業は明らかでないが菅井孝太郎家では既に明治14年に明治天皇に氷を献上している。同家ではツツミの広さ8アール。2月の大寒頃から切り上げた45cm×75cm×24cmの氷塊をムロに積み入れた。主として親戚の人を頼んだ。6月1日がムロあけ。町内の露店商・医院・料理屋の人が買いに来た。水戸部清一家ではツツミの広さ4アール。氷の大きさ30cm×60cm×24cm位。降った雪をパッキンにして村衆を頼んで積み入れた。二の堰に臨時の橋を架け、主に町内の飲食店に卸した。井上勝蔵家ではツツミの広さ約10アール。12月に水を張り、夜中に何度も起きて降った雪を払い穴をあけて氷の厚さを測って切った。氷の大きさ90cm×60cm×24cm。氷切りと運搬に一日15人くらい村衆を頼んだ。夏冬通して洲崎の避病院と虎屋へ、更に町外にも卸した。戦後、進駐軍がやって来てムロから氷を徴発していった。同家の祖母が抵抗したが駄目だったという。昭和24年、衛生面から山岸の雪屋は廃業した。長く農家の副業として続いた製氷。ポッカリロを開けた暗い雪穴を思い出す。

と書かれています。

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【紅葉狩り】寒河江八幡宮ひとり旅



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