あずさ1号で行く!信州不動尊霊場成田山蓮華不動院ひとり旅



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牛頭山妙法寺ひとり旅&杉田臨海緑地ひとりBBQ

の続き。

これは2025年4月14日の旅です

新宿から07時00分のあずさ1号(特急)に乗ります。


12号車14番D席
みんな一緒ですw


09時20分、岡谷駅に到着。


いい天気です!これも日頃の行いですな。


今日からあのホテル(岡谷セントラルホテル)に4泊します。ホテルに荷物を預け、今日は全て徒歩で移動します。


まずは有限会社百瀬酒店エスポアももせで地酒を買います。後でやる、ひとりBBQの準備です。


次に有限会社喜多屋醸造店で醤油を買います。


店舗が写っていませんが、この先の西友岡谷南店で肉を買います。


長野自動車道の岡谷高架橋が見えます。


パチンコ屋ニューアサヒ岡谷天竜店の近くにある架道橋を潜り、線路北側に抜けます。


岡谷高架橋に沿って歩きます。まだ建設中です。


この階段を上ると長野県道14号下諏訪辰野線に出ます。桜は五分咲きですね。


長野県道14号下諏訪辰野線を渡りました。こちらが成田山蓮華不動院へ続く階段です。


上ります。


中腹に供養塔や地蔵尊があります。


途中で生活道路に出ます。


階段はあと少し!


ぜぇぜぇ…


到着!


うっ…御本堂右側に、更なる高みを目指す階段が…奥の院かな。


狛犬ちゃん


これを上ってきたのか。頑張ったな俺。


ここの山号である成田山は、もちろん千葉県にある真言宗智山派の大本山成田山新勝寺が由来となっています。


御本堂の裏にも行けるよ。右側の像には修行大師と彫られています。真言宗の開祖・空海(弘法大師)のことですね。


岩壁は明治~大正に掛けて整備されたもの。不動明王が鎮座するに相応しい険しい山岳や修行の場を象徴するため意図的にゴツゴツさせています。


主に不動明王の眷属(三十六童子)を祀っています。右上の方に不動明王さま(赤いやつ)がいます。


三十六童子は1901年(明治34年)に、山の最上段にある奥の院(大日堂・太子堂)の建立と同時に安置されました。


なぜご本尊に不動明王様が選ばれているのか?

元々この地は八ヶ岳連峰など山に囲まれていることから山ノ神信仰が盛んだったので、修験者・山伏から支持されている不動明王がご本尊になることになったのだと思います。

なぜ修験者・山伏から支持されるようになったのか?

不動明王のルーツはヒンドゥー教の破壊神シヴァの別名とも言われるインド密教の仏様。7世紀頃中国へ伝わり、平安時代に空海(弘法大師)によって初めて日本に持ち込まれました。この時点では飽くまで密教という高度な仏教理論の中の重要な仏様でした。

空海が不動明王様を連れてくる様子w


一方で、日本には仏教が来る前から険しい山を神聖視する独自の山岳信仰(古神道的なもの)がありました。平安~鎌倉に掛けて密教とこの山岳信仰が結びつき山で修行する人々(後の山伏)が現れます。

山岳修行者たちが数ある仏様の中から不動明王をメインの守護神として選んだのには相性の良さがありました。それは…

ビジュアルの説得力!w

炎を背負い、岩に座る姿が火山のエネルギーや険しい崖を持つ日本の山のイメージに完璧に重なった。


また、昔の山は猛獣や病、道迷いなど命の危険が伴う場所でした。そこで、慈悲深い優しい仏様よりも、力づくで魔を退散させる強くて怖いお不動様の方が守護神として頼もしかったのです。

不動明王は元々密教の仏様として日本にやってきましたが、その強烈なキャラクターが日本の山岳修行者のニーズにマッチしたため、修験道において事実上のトップとして熱狂的に支持されるようになった、というのが歴史の真実です。

本堂再建に寄付した人々のご芳名が刻まれています。


扁額


寺紋は新勝寺と同じ葉牡丹です。


お賽銭箱の紋も同じ。


成田山新勝寺は古くから皇室とのゆかりが深く、かつては皇室の象徴である菊をあしらった葉菊(はぎく)という紋章の使用が許されていました。


しかし、明治時代(1869年)の菊花紋章禁止令により皇族以外の社寺が菊の紋章を使用することが厳しく制限されました。これにより成田山も菊の紋章が使えなくなり、苦肉の策としてデザインの変更を余儀なくされました。

そこで、中央の菊の花を牡丹の花に差し替え、周囲の菊の葉はそのまま残すという形で新しい紋章が作られました。これが現在の葉牡丹の由来です。

この葉牡丹の紋章は千葉の新勝寺と正式な縁故(別院や講社など)がある寺院のみが使用を許される特別なもの。成田山蓮華不動院がこの紋を使用していることは、明治3年に勧請を受けて以来の深い繋がりを示す最も重要なシンボルといえます。

さて、それでは更なる高みを目指したいと思います。奥山半僧坊(はんそうぼう)大権現の石碑があります。


奥山半僧坊大権現とは静岡県にある臨済宗方広寺派大本山方広寺の開祖である無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)が中国から船で帰る途中台風に見舞われてしまうが、その時突如現れて助けてくれた鼻の高い外国人。


禅師がホームである方広寺に到着した際、再び現れ「弟子にしてください!」と言ってきます。

禅師がこの時の異人(外国人)の姿を見て「半ば僧にあって僧にあらず」と表現したことから、異人は「じゃあ俺、今日から半僧坊ってことで!」と名乗るようになりました。

その異人は前述のように禅師を海難から救ったり、方広寺が火災にあった際、半僧坊の姿を模した像が焼失を逃れたり…などの伝説があることから、厄難消除、海上安全、火災消除などのご利益があると信じられるように。

また、半僧坊の像を造ろうとしたとき、仏師の夢枕にひとりの翁が現れ「大権現の姿は鼻の高い猿田彦のようである」と告げた…という伝説も残っています。


この伝説を知ったうえで再び奥山半僧坊大権現を拝見…感慨深くなりましたw 杖やその持ち方は猿田彦の有名な姿をモデルにしたからかな?


このお寺は真言宗なのに、なぜ臨済宗の半僧坊がいるのか?それはそもそも成田山新勝寺が半僧坊を祀っているからです。明治時代、成田山が火災除け・災難除けとして半僧坊を勧請したとあります。

あんなところに不動明王様が…


鳥居が見えてきました。伊勢神宮・山之神と書かれています。


本殿


到着しました。遍照(へんじょう)と書かれています。仏の光明があまねく世界を照らすことを意味し、真言宗では大日如来の慈悲を表します。ここのお賽銭箱にも葉牡丹の紋。


登った登った。


ここから岡谷市道101号線に出て成田公園へ行くことが出来ます。階段を下りなくていい!


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長野県岡谷市成田公園でお花見ひとり旅



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