花巻城跡ひとり旅



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宮沢賢治童話村&銀河プラザ山猫軒ひとり旅

の続き。

これは2023年10月27日の旅です

11:23am
花巻駅で乗り換える序に降りてみました。ここにも賢治が。


東口駅前ロータリー。右側にあるポールの林はJR花巻駅前公園「風の鳴る林」


酒のやまや花巻店のある信号から花巻城跡へ入る遊歩道がありますのでここを歩きます。


水門の下から赤ちゃんカモが出てきました。かわいい~w




砂場や滑り台のある広場に上り階段がありますので行きます。


菱櫓跡


なるほど。ここからなら敵が攻めて来てもすぐ察知出来そうです。


ブルーシートで何かが覆われています。


発掘中のようです。つい先程まで大勢の作業員がいたのですが、お昼になったら誰もいなくなりました。現在11:56amです。


西御門



御由緒


花巻城の地には前九年の役(1051-1062)での安倍頼時(源頼義と音が被ると言う理由で頼良から改名)による城柵があったと伝えられている。

それまでここを治めていた安倍氏は前九年の役で源氏や出羽清原氏など朝廷軍に滅ぼされる。

鎌倉時代、源頼朝にこの地『稗貫郡』を与えられた者が稗貫氏を名乗り治めることになるが始祖については諸説あり過ぎて現在のところ不明。

稗貫氏の所領は現在の南部を除く花巻市にまで及び「稗貫五十三郷」といわれる。各郷に一族・家臣を置き、諸城を築いていた。当初は小瀬川館(こせがわだて)を本拠としたが、郡内各地を転々として最終的に鳥谷ヶ崎城を本拠に。史料によると永享8年(1436)以降のことであると思われる。

小瀬川館から鳥谷ヶ崎城(花巻城)まで徒歩1時間強。

瑞興寺(ずいこうじ)はそれ以前の1397年に正法寺(しょうぼうじ)第三世虎渓良乳(こけいりょうにゅう)和尚が開山、稗貫三河守(みかわのかみ)広門が開基。本堂は鳥谷ヶ崎城の本丸にあった。

その証拠に稗貫氏の家紋「丸の内に太一つ引き(まるのうちにふとひとつひき)」が瑞興寺の家紋となっている。

天正18年(1590)稗貫広忠の代、豊臣秀吉の小田原攻めに参戦しなかったことで所領を没収・居城追放となった(奥州仕置)。

しかし、広忠は同じく所領を没収された弟・和賀義忠(よしただ)が、かつての本拠である二子(ふたご)城を攻めるのに呼応して鳥谷ヶ崎奪還に立ち上がり一時は成功したと伝えられている(和賀・稗貫一揆)。

一揆の首謀者和賀義忠は逃走したが、その途次で土民の襲撃を受け殺害された。

その後広忠については伊達政宗を頼り、平泉周辺に、その後旧臣矢沢三河守の所へ移ったと伝えられている。

新領主南部信直は重臣である北秀愛(きたひでちか)に8,000石を与える。

北秀愛は和賀・稗貫を統治するため鳥谷ヶ崎にあった瑞興寺を現在地(坂本町)に移し、ここをお城の本丸に整備し名を花巻城とした。

秀愛の死後は父・松斎信愛(しょうさいのぶちか)が事業を継承。

1600年、南部氏が慶長出羽合戦へ出陣している隙を狙い、伊達政宗に扇動された和賀忠親が旧領・和賀郡の奪還を目指して一揆を起こす(岩崎一揆)。

和賀勢は花巻城や大瀬川館など周辺諸城を攻め、花巻城の三の丸、二ノ丸を攻略し本丸に迫ったが援軍を得た北信愛がそれを撃退。

大瀬川館から花巻城まで徒歩3時間強。

慶長18年(1613)松斎信愛死去。

藩主・南部利直(としなお)は庶子で次男の政直に和賀・稗貫の地から2万石を与え花巻城主とし、仙台藩境の警備に当たらせた。

政直の死後は嫡子がなく寛永元年(1624)からは城代を置き、以後明治維新まで存続。

愛宕下(盛岡市)からお城の下に掛けて北上川が流れており、春は桜の花びらが舞い散り大きな渦を巻いたことが花巻の由来と言われている。

しかし地名の優雅さとはうらはらに川が度々氾濫して人々を悩ませ、またお城の崖が崩れたりしたので正保年中(1646)小舟渡八幡宮の東方に北上川の流れを変える工事が起こされた。

その後、断続して工事が進められ、貞享三年(1686)ようやく完成。足掛け40年の大規模工事だったと。

武徳殿
武道クラブです。


鶴陰碑(かくいんひ)
江戸時代中期から明治初年までの百数十年間に、この地方から輩出した諸学、諸芸に長ずる人士の顕彰(けんしょう)として建てられた。儒学、兵学、武技、書画、和歌、俳諧など他に卓越した人々百九十四人の氏名を刻み、後進人の導きとしたものである。


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