大石内蔵助と佐白山麓公園と笠間城ひとり旅



2024年4月のお知らせ 『ポンドの値動きをドル、ユーロ、円の三方面から分析し勝率を上げる』を配信しましたのでご確認お願いします。

旅トレーダーによるFX教材

FXで旅費を稼ぎながら全国を旅するトレーダーの手法

著作権について本ページの写真は著作物ですが、出典を明記することで許諾なくご利用することが出来ます。ご利用の際には本ページのURL、又はリンクを誰が見ても分かるよう明記してください。加工して利用する場合も同じです。著作権侵害にご注意ください。
笠間稲荷神社ひとり旅

の続き。

これは2023年3月2日の旅です


8:33am
次の目的地へ向かう途中の空き地に立派な梅が。


大石邸址(大石邸跡)
忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしたか)…の曽祖父良勝(よしかつ)及び良欽(よしたか)の屋敷跡。


良雄さんの像


説明
大石内蔵助良雄は赤穂浪士を率いて浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇討ちをした。


赤穂四十七士の笠間藩生まれの義士たち


説明


なんだこりゃ?近くに笠間日動美術館がありますのでそれかな。如何にも芸術家が作りそうなオブジェです。


8:38am
佐白(さしろ)山麓公園(笠間城主下屋敷跡)前の駐車場ですが公営笠間稲荷駐車場となっています。


屋敷跡に入りました。あちらに見えるのは時鐘楼。


広くて誰もいないので空撮します。まずは時鐘を上から。


雨が止んでくれて助かりました。ドローン飛ばせませんからね。大きなグラウンドが2つ並んでます。右が笠間小学校、左が笠間中学校かな。


150m上空から真下を撮影。私が点になってます。


お寺の周囲に大規模なお墓が。玄勝院さんですね。


公園から東側を撮影。この山に笠間城があったようです。


地上へ降りてきました。ふるさと資料館(旧笠間町立美術館)ですが、とてもやってるように見えません。


笠間滿州分村懷古之碑

笠間分村は昭和十八年三月十二日 元満州国東安省宝清縣南哈嘱地区に笠間町を母体とし亜細亜五族の協和と日本民族伸展の大理想顕現を目的として建設されし 第十二次開拓団 名利広漠たる山野 正に一万四千町歩 不撓不屈之を拓きて百町歩開拓の聖業漸く進みたるも 昭和二十年八月九日建設五ケ年計画の半ばにして戦争大東亜の終結のため幾多尊き殉難者を出し  笠間分村二百戸建設の大業遂に挫折の止むなきに至る 嗚呼残念なる哉 時に団長以下百五十四名  依って 為分村事業記念 為殉難者慰霊 建立

どこで区切ってよいのか分かりませんが、要するに満州に笠間町を母体とした200戸規模の分譲住宅を建設しようと計画していたが戦争でダメになり、その代わりここに事業記念碑と慰霊碑を建てたと。

こちらは満州ではなく日露戦争の碑。文字は陸軍大将井上幾太郎によって書かれたとあります。

左は駐蹕(ちゅうひつ)遺蹟碑。明治天皇笠間行幸とあります。駐蹕とは天子が行幸の途中に立ち寄ること。

義士顕彰(けんしょう:功績などを一般に知らせ表彰する)碑
『誠』は新選組の専売特許では無いと。義士とはもちろん赤穂義士。


治功神社
突如現れた神社。神明鳥居…と思いがちですが貫が丸ではなく四角なのでこれは靖国鳥居。靖国神社はもちろん護国神社系によく見られます。それはそうと笠木がちょっと長過ぎませんかね?バランスが…

ご祭神は笠間八万石の城主、牧野氏の始祖である武内宿禰(たけのうちのすくね)と歴代の当主、及び明治元年(1868)の戊辰戦争から西南の役、日清・日露戦争、第一次世界大戦まで笠間町出身の戦死者二七柱(二十九柱とも)の霊。

ってことで、やはり護国神社だったのですね。

すぐ左に小祠(しょうし)が。こちらは神明鳥居ですね。


誰が何と言おうと、どんな祀られ方をしようと正一位!だって稲荷大明神だもん!鳥居の色がたとえ赤くなくとも!


再び治功神社を正面に進んだところ。奥に見えるのが本殿ってのは分かりますが…手前のこれは?まさか東屋ってことは無いでしょうから、拝殿…なのかな…


近付いて真下まで来ないと見えない扁額に治功神社と。やはりここが拝殿なのですね。


本殿
鰹木(かつおぎ)が5本(奇数)なので男神…ってのは俗説とWikipediaでは説明されてますが、井戸理恵子さんはそう言ってませんでした。つまり俗説では無いと。武田邦彦先生とお伊勢参りしてるとき「ここは女神を祀ってるので本当は偶数だけど間違っている」と明確に仰ってました。


山道に入りました。
いばらき森林浴の道100選佐白山


石が一列に埋まっています。ちょっと見えないですね。


これならどうでしょう?お城の跡ですかね。


まんさくに寄り掛かる様に天守跡と書かれた標が。


ここにも石碑が沢山ありますが文字が見えません。


笠間時朝(かさまときとも:鎌倉時代の常陸国の武将)公を追慕して

塩谷朝業の次男として生まれ、宇都宮頼綱の養子となり、常陸国笠間に入って笠間氏を名乗り、佐白山に笠間城を築く。身体がデカいだけでなく文化人としての側面もあり和歌が得意だったとか。

これは…ただの石かな?


説明と現在地


さて。周辺に何もなく誰もいなさそうなのでドローンを飛ばしたいと思います。

それー!って、さっきの小中学校が見えるだけですね。角度は違いますが。


真下を撮影。広場の中央に1本だけ木があります。私は白い点です。


木しかない…あ!しまった!左上にソーラーパネルが写っちゃった!また面倒くさいのに絡まれる!「いい景色ですね!パネルがモヤモヤしますが…」みたいに。


ギャー!!山を切り崩してメガソーラー!!!この辺の川の水を利用して作られた農作物に有毒物質が染み込んでしまいます。地滑りも起こるしこれこそ環境破壊!再エネ賦課金で電気料金を上昇させ、その裏でSDGsがボロ儲け!県や市は反対しなかったのかなぁ?市長や県知事にも金銭的なメリットが発生するようなロビー活動でもしたかな?


更に山奥へ進んでみたいと思います。電線が切れてて危ない。メガソーラーやるお金あるならこれ直せよ。


うわっ!トンネルだ!下北半島で一条の光も差さない早朝のトンネルを潜ってから少し苦手に(・_・;) しかし向こう側が見えてるので怖くありません!


崩落注意
こういう物理的・現実的な危険に対しては平気なんですが…人間には身近で想像しやすい危険を過小評価し、可能性が低く想像しにくい危険を過大評価するバイアスが備わってるんですよね。だから生命保険が儲かる。万が一症候群。コロナ禍もこの心理がベースとなり、メディアがそれをブーストしたことによって引き起こされた騒動。


トンネルを潜って右へグルっと回ると東屋があり…


笠間城八幡台櫓跡に出ます。


ご神木??が祀られていたような痕跡ありますが無残な姿に…


笠間城跡


この石碑の脇に道がありますのでそっちへ行ってみたいと思います。


笠間城天主跡と書かれた石碑が見えてきました。さっきは天守跡と書かれていたのに。


笠間城天主跡は佐志能(さしのう)神社となっております。東日本大震災からもう10年以上経ってるのにまだ修復されてないってどう言うこと?ザイム真理教による緊縮財政?ウクライナには兆円単位の支援をし、戦争を長引かせ、ネオコンが儲かるお手伝いしてるのに?役に立たず破棄されるだけのお注射に数兆円も払う余裕あるのに?


あとちょっとで天主跡なのに…


仕方がない…飛ばすかw

それー!確かに崩壊してる。完全に放置されてます。都合のいい時だけ神様に頼るクセに。


上空から自撮り


更に上空から神社を撮影。左側の小さい屋根が本殿ですね。


10:16amですがそろそろ拠点である水戸に戻りたいと思います。


次の旅へ行く

水戸東照宮ひとり旅



旅トレーダーによるFX教材

FXで旅費を稼ぎながら全国を旅するトレーダーの手法