札森さくら街道と新田野八幡神社ひとり旅



2024年10月のお知らせ 『フラクタル構造を深く理解し、押しや戻りの深さを推測する方法/調整を利用した逆張り手法』を配信しましたのでご確認お願いします。

旅トレーダーによるFX教材

FXで旅費を稼ぎながら全国を旅するトレーダーの手法

著作権について本ページの写真は著作物ですが、出典を明記することで許諾なくご利用することが出来ます。ご利用の際には本ページのURL、又はリンクを誰が見ても分かるよう明記してください。加工して利用する場合も同じです。著作権侵害にご注意ください。
四方木不動滝と甚平穴ひとり旅

の続き。

これは2024年4月2日の旅です

5:13am
札森さくら街道の札森さくらパーキングです。この駐車場はお花見シーズンのみ開放されるようです。


田んぼに囲まれておりカエルの合唱が凄いです。


今年の開花は遅いようで、全然咲いてません。お花見イベントを主催する方も日程の調整が大変ですね。


折角なので田んぼでも撮影します。


5:25am
日の出。上のオレンジではなく下の赤丸が太陽です。



駐車場の様子


5:51am
新田野八幡神社 主祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)
新田野とはいすみ市の地名。ここの住所。


こちらは少しだけ桜が咲いていてくれました。


三分咲きですね。ありがとうございます。


集義学校跡
明治25年に開校し、大原町及び近隣周辺の青少年がここで学問を修め社会に出て貢献した。明治33年に閉校となる。


御由緒
『第68代後一条院の御宇(ぎょう)寛仁丁巳(ひのとみ:干支の組み合わせの54番目)三年八月十五日、字生嶋ケ丘に勧請し、その後明治十二年までの860年ほど、万喜の城主土岐右京大夫頼春先祖より代々の祈願所であった。』…う~ん、むずかしいので説明を少し砕いてみますか。

第68代天皇である後一条天皇(ごいちじょうてんのう)の御代(みよ)、寛仁(かんにん)3年(1019)8月15日、字生嶋ケ丘に勧請。

その後、明治12年(1879)までの凡そ860年間、万喜城(まんぎじょう:万木城・満喜城・万騎城)主・土岐頼春(ときよりはる)より代々の祈願所であったそうな。

神鏡四面を奉納され、その一面が現存している。当時、夷隅十四郷の総社鎮守で、夷隅三所(船子、新田野、松丸)八幡と称された。

文久2年(1862)年6月28日、本殿及び拝殿が焼失。翌年の8月に再建され、拝殿には干支の彫刻が施されています。

その拝殿を斜めから。


拝殿、幣殿、本殿


本殿の軒裏


参道は真南に伸びています。


万喜城主土岐頼春(生没年不詳)は戦国~安土桃山の武将。父は里見家に仕えていたが第二次国府台合戦で後北条氏に寝返った土岐為頼。頼春は里見義康に3度攻められるが全て撃退(万喜・長南合戦)。10万石相当の所領を支配し上総土岐最大勢力を築いた。

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐によって北条家が滅亡した際、土岐家は北条方として本多忠勝に万喜城を攻撃され敗北。頼春の消息は不明。

次の旅へ行く

國吉神社&上総出雲大社ひとり旅



旅トレーダーによるFX教材

FXで旅費を稼ぎながら全国を旅するトレーダーの手法